時々、前腕の手関節近くの母指よりで腫脹と痛みを出す疾患があります。
作業負担により発生する腱の炎症ですが、痛む部位への局所注射で治癒します。
この疾患の不思議なところは、再発を経験した症例がないということです。
病態を説明するとともに、再発しないということについて考察したいと思います。
腫脹をきたす部分は、専門的となり申し訳ないのですが、長・短橈側手根伸筋伸筋(手首を返す筋)の腱と母指外転筋(母指を固定する筋)の腱が立体交差する部分となります。
これらの腱が接触し、こすれ合っているわけですが、作業負担によりその頻度と強度が高まり、腱に炎症(炎症とは小さく傷つくというイメージです)を起こすことになります。
その画像所見を提示してみます。
57才の男性です。X年12月19日に右手関節近傍に痛みが発症し、その後同部の痛みが悪化し、12月29日に当院を受診されました。右手関節を背屈(手の甲側に屈曲)すると痛みの部位にはあつれき音を触知します。
レントゲンでは異常はありません。
MRI所見では前腕遠位(遠位とは体の中心部から遠い位置という意味です)で赤丸領域で黒い腱の周囲が白くなっていて、腱の炎症を示しています。最も皮膚側の黒い腱が母指外転筋腱です。※最初のイラストの腱の構造を参照してください。
このMRI所見は腱の炎症部分を水平に切った断面となりますが、赤丸領域で2本の腱の上に1本の腱(母指外転筋腱)が交差しており、その周囲が白く炎症の状態にあります。
腫脹部の腱の周囲にプロカインとケナコルトの局所注射を施行し、以後患者さんの受診はありません。
おそらく治癒したと推察しています。
もう1例、提示します。58才の女性です。平成12年2月25日右手関節近傍痛で受診され、書字もできないということで受診されました。
平成12年1月より1日6時間のコンテナの洗浄のパート業務に就労しました。2月半ばに右手関節近傍痛が発症し、2月25日には書字も困難となり、当院を受診しました。
MRI所見は57才の男性と同じで、前腕遠位部に手関節伸筋腱周囲は白く炎症所見が確認されます。
プロカインとケナコルトの局注で症状は治癒しました。
2年後に腰痛で受診されましたが、パートで同じ作業を続けているとのことでした。症状の再発はなかったとのことです。
ここで不思議なことは、発症の直接的原因となったコンテナの清掃を同じ作業負担で継続しているのに、症状が再発しないということです。
痛みの天秤の論理で考えた時に、症状を悪化させる負担が加わり続けるわけで、痛みの天秤が痛みの側に傾いてもおかしくありません。しかし、痛みが再発しないのは痛みを軽減させる側の要因が増強されているからであるはずです。それは何なのか?私は2つの想定を考えます。一つは部位の特殊性です。炎症を起こした3つの腱構造に何らかの摩擦に対して組織損傷の抵抗性を獲得したという可能性です。もう一つは1度炎症状態が鎮静化すると局所の構造の柔軟性が生まれ、3つの腱が接触し炎症の要因が発生しても3つの腱を被う筋膜が伸張して炎症の圧を軽減し、炎症の顕在化を回避させているという想定です。
上腕骨の外上顆炎などは局注を行い、痛みが軽減・消失しても高頻度に再発をします。外上顆炎はここで解説している手関節伸筋の(上腕骨の)筋付着部の炎症で、同じような作業負担で発症します。外上顆炎の患者さんようのパンフレットでは、壁に目ネジでフックをつけて、そこにゴムを括り付けて引っ張り続けていたら(ゴムの劣化は交換して発生しないと仮定したら)目ネジのネジ山がゆるむということが起こりうるのと同じで、筋の付着部での小さな肉離れのような状態ですと説明しています。そのゴムが何かにこすれて摩耗するのと、目ネジのネジ山に張力が働き続けるのでは、その負担の程度は違うのかもしれません。
また、指の腱鞘炎も同じように局注によって症状は軽減しますが、再発もしばしば見られます。
それは指の腱鞘という構造が骨に固着していて、容易に伸張しゆるむような構造ではありません。それに対して前腕部の筋の腱の部分を被う筋膜は伸張してもおかしくありませんし、筋から腱の部分の構造が筋膜下で若干可動性のある構造となっています。そのような融通性が腱の摩擦による炎症の再発を回避させているのかもしれません。
とにかく何らかの痛みの軽減要素が働くことで、作業負担の要因に対して天秤の平衡を維持することが達成されていると私は理解します。